神社について[ 第2話 ]

第2話  第1話
息子が帰って来る
平成25年3月、矢野家にとっては最良の日を迎えました。倅のゆうしが無事、大学を卒業し、大分に帰って来たのです。東京都庁ではなく、大分県庁への就職を決めてくれたのです。しかも、國學院大学で神職免許の研修を受け、初級の免許ではありますが、資格を取って、神事ができるようになったのです。

彼は、県庁の医療関係の部署に所属して、大分市内にアパートを借り都合の付くときには宇目に帰り、神事をしてもらえるようになりました。しかも、宇目神楽保存会の一員でもあるので、時々、神楽も舞っているのです。しかし、もちろん、奉職した仕事がまず第一番です。忙しい部署でもあり、仕事を覚えることがもちろん大切で、私もゆうしも都合のつかない場合には、他の方々に助けていただきます。

息子が帰って来たことは大変にありがたいことです。彼の苦渋の決断を無にしないために、また、迷いに迷い、やっと帰って来てくれた彼の気持ちに応えるためにも、神社の維持運営を、これからどうやっていくか、真剣に考えなくてはならないのです。

人口減少が続く中、宇目には地区の小さなお宮が、なんと50近くもあります。敬神崇祖のお心でなんとか、季節ごとの祭りを絶やさずに行ってくださる方々がこの宇目にも、たくさんおられます。でも、この何十年かの間に、限界集落になりつつある地区が、ひとつ、ふたつと出現してきています。30戸あった氏子が15戸に、15あった氏子がとうとう5軒に、と、どこの地区も祭りの負担は大変になってきました。

息子が言いました。「僕の代になった時、果たして、お宮の総代をしてくれるような方がいるかなあ・・・・」その時、この宇目はどうなっているんだろう、不安なんですね。秋の大祭の準備、運営、どう段取りしていけばいいんだろう。お供行事をする人は、まだ残っているだろうか…

現在を生きる私たちがいちばん考えるべきことは、将来を託す世代が引き継ぎやすいようにしてバトンを渡すということです。息子が担ってくれる神様ごとを、受け継いで良かったな、これで良かったんだな、と彼に思ってもらえるように、まだまだ私は頑張らなくてはいけません。

この数年、折に触れ、私は各地区の皆さんに、これからの祭りのあり方、今後の方向性につき、ぜひ、検討してほしい、そいう時期が来ているんだ、ということを少しずつ訴えております。こちらからは言い出せないんだけれども、氏子の方からの意見としてあがってくればありがたく検討させていただきたい、とひそかに願っている解決策も考えてはおります。しかし、神職という立場の私からは、今はまだ、申し上げるべきではない具体案だと理解しています。

神様は本当にありがたいです。ご先祖様のおかげで、私たちがあるのです。先祖からの思いを受け継ぐために故郷に帰って来てくれた倅に、ため息ばかりが出るようなそんな、重たい将来を渡してしまうようなことは、絶対にしたくありません。

いま、私が大分市に事務所を持ち、口演活動に日々力を注いでいること。これこそが、将来の宇目のため、そして、倅のために実を結ぶ日が来るのだ、と信じて毎日頑張らせていただいております。今の自分にできることはこれしかない。でも、それが少しでもいい結果に結び付くよう頑張って行きたい。あちこちガタがきた自宅の修復、あちこちに散在する先祖のお墓の移転。こういったことも含めて、やり遂げたいことはたくさんあります。

田舎のお宮の宮司がかかえている悩みは尽きません。・・・・・・

口演仮申込み

基本的にどこでも参ります。
皆さんが笑ってくれると私も元気になりますし、笑っている人も元気になってくれると思っています。
こんな私の噺でよかったら呼んで下さいませ。